昭和39年12月30日朝のご理解
今朝、朝から少し心を汚して、御神前に出らして頂いて。目覚ましのおかげを頂いて、電気をつけて、えぇ、着物を着ろうと思いましたところが、二階に私の部屋に、昨日御鏡付きで、おかがみ、お鏡が沢山、ついて置いてある、それをその、こちらに、棚の上にずっとこう重ねて置いとる訳なんですけれども、その一番、中心のお鏡になる一番大きなお鏡さんが、もう八方割れに割れてしまってるんです。それ上から重しかけとるもんですから、割れてしまってるんだよね。他のお鏡さんなら取り換え用がありますけれどもね、ちすっ、ちょっと小っさいですから、一番中心にする、、、、っとにもうこれはもうどうするか?と。家内に、夕べ片づけたのは家内ですから、家内に朝から、なんというその、おぉ、不行き届きなことだったかと、久保山先生も久保山先生じゃろう、ね、一番大事なお鏡さんぐらいちゃんと神饌室に入れておけば良いものを、と言うてまあ、当たり散らかして、まあ怒ったものの、どうにもこうにも仕方がない。まだ日にちがあるから今日でもつきなおさなきゃなるまいと私が思うて、御神前に出らせて頂いた。
この前の謝恩祭の時もそうであった、午前中お鏡さんを、を固くするために冷蔵庫の中に入れられた、いっぱい入っておったもんですから、こんなに、その斜めになっておった、台が、それ下へ寄ってしまっておるもんですから、昔のこんな、クウボンパンみたいな、形になってしまって、慌ててまた、つきなおしたといったようなことであった。次から次と、お鏡と言やぁもうお供えの言わば、満ち満ちゃ鏡餅と言う、一番大事なお供え物である、で御神前に出てから、さあ家内に喧しく言う久保山先生に不足を言うたところでです、始まったことじゃないし、同時にこれは私自身がですね、いよいよこれは、神様からなんかお気付け頂きよるな、と、ね、普通の月並祭とか何とかというのと違うでしょう、で元旦の、お祭を仕えなければならない、しかも一番中心の大きなお鏡さんが、もうあの、いわゆる八方割れです。こりゃ家内じゃなかな、久保山先生じゃないな、これは本当に私がこれは、分からして頂かなんことがあるなと、と思うてご挨拶さして頂いておりましたら、あんなこっ、そのぉ、ことが私の心の中に、響いてくるんですねぇ。四神様の御理解なんです。ある時四神様のところへ、「金光様、父が重体で医者も匙を投げました。どうぞ生神様あなたのおかげで、父を助けて下さい。今度一遍はどうでも助けて下さい」と言うて願いに来た。でお取次ぎをなさった、おかげで奇跡的に助かられた。ところが前後して、今度はあそこの飼牛が、重体になった。またお願いに来た。「もう牛と言えば百姓の家族の一員と同じことでございます、どうぞ牛を助けて下さい」と言うて、お願い、お願いにみえた。また四神様その事をお取次ぎなさったおかげで牛は助かった。ところがです、正月のお鏡開きをする時にです、お鏡さんを切ろうと思うたところが、その人の家にですね、中から小さい血の塊が出てきた、びっくりしてまたその事を四神様にお届けに行った。「金光様こんな大変な不思議なことがございました」で四神様が仰せられた「どうぞ父の命を助けてくれと言うから、牛に祀り替えた」と仰ったそうです。ね。「牛もどうぞ家族の一員でございますから、どうぞ助けて下さいという切なる娘の願いがあったから、ね、ただ祀り替え祀り替えと言うただけじゃ、印を打ちなければ、氏子が疑うから、鏡の餅の中に、神が祀り替えの印を見せた」と仰ったそうです。そのことを私しきりに頂くんですね。はぁそして私は心の中に思い当たる事があるのです。
昨日秋永先生が、お土地の事で、も、もう年内に(?)ならんというので、こちらに(?)のところにお願いに来ております。それで嘉朗さんもついて来ておりました。であの向こうへ行ってから、話をつけたり願ったりしてきて、また帰りに寄りましたから、ちょうど今朝、帰るのが2時半で、私がその3時でした。もう本当にもう一生懸命の、おぉ、そのですねぇ、今度の事についてでももう、とてもこりゃ今までの信心じゃでけんって、その事についてから、どういうような心持になりゃ、どういうような心掛けに今度ならせて頂いたら、おかげを頂くだろうかということをもう熱心に、そのぉ、お話し合いをさしてももらいましたし、同時にお伺いがございましたが、それに適切なその、夕べお知らせを下さるんですが、まあこの話は、こうだぁ、今度の例えば、来年の13日には、どうでも13日会の方達にだけでも、ここんところは分かってもらわにゃならん、まあその事の一説を申しますとですね、こりゃ私は先生にも申しませんでしたけれども、言わばここに例えば総代、幹部は勿論のことですけれどもですね、だけが言うたっちゃダメだって、もう下から盛り上がってこなければ。この薪をこう綺麗に積み上げてあって、上か焚き付けておるところを頂くんですね、でポッと燃えるんですけれども、その、消えるんです。もう今度の事はもう本当にこの信心を徹底してです、もう本当にこの際この時、おかげを頂かなければならない、下から盛り上がるような、いわ、言わば燃え方にならなければ、この薪に燃え付かないといったような意味のことを頂いたんですけれど。その時皆さんに、どうでも一つ、(?)のこの気持ちを聞いてもらわにゃならんと言うて、昨日秋永先生言っておりましたが、まあ付いて来とる嘉朗さんの話なんです。先日からの、一番下の明光さんが大変じゅっ、もう重体に陥りました。これもお届さして頂いておりましたけれども、その(?)頂いておりますもんですから、あちらにお願いさして頂いた。ところが、えぇ明光さんはおかげを頂いてまいりましたけれども、今度は家内が同し症状になった。ゆっ子さんが、家内が少しおかげを頂い、出したところが今度はまた同じ症状で、その熱発、その何の病気分からんような病気なんですねぇ。雅代さんが、昨日は大変具合が悪いとこういう、今は、皆さんご承知でしょうけれども、桜井先生、今今、ちょうど私があの、霊徳に触れる時のような、様々な症状が、症状っち言うたらおかしいけども、あれあれがあってるんですね。あの、おふっ、筆を持たしてもらうと、筆でこう、おしっ、お知らせを下さるという時代で、ですからあの、私共、私の場合はそれは無かったんですけれども、その信者が参ってくるお伺いをすることに対してもうあるなら、一々その、胸知らせとか、ご心眼とかも頂かれないもんですから、筆を(?)したそうです。そすと筆でですねその返事が出てくるそうですたい。あれでもうみんなも本当によう有難がってるわけなんですね、昨日は、朝も麻生さんが来てからそのことを言うんですね、本当にもうしかし有難いことではあるということなんです。そしたらですね、その白紙に、そのどういう風に出てくるかと言うとですね、えぇ、ちょっと私言葉忘れましたけども、「大難を少難に祀り替える」ということ、幾人にも、同じような症状にも。ね。「大坪金光大神の徳によってぞ」とこう。白紙に書かれてあります。まあそのことを色々話しておりましたがですね、こりゃぁもう、そりゃ素晴らしいそうですね、その書体が、なるほど桜井先生が書きござるとじゃないっちいうのも感じんわけにはいかんっち。
ね、今朝の私お鏡さんのその、言わば、八方割れに割れておる、それを見せて頂いてです、一時はそう思いました、「まなんという不行届きなことだろうか」と、だからここんところもやっぱり考えなきゃいけませんね。私は久保山先生に「あなた程しの出来る方がです、一番最後のこげな事が起こって、一番最後に(?)」と言うた私は。でそこも私、私を始め皆が、最後の最後まで、私は実意を込めなければ駄目だということ。ね、そこもお詫びは勿論させてもらわにゃならんけれども、そういう中にです、神様の生き生きした働きを見しておって下さるんだということ。ね。
昨日の朝でした、朝の御祈念を頂き終わっておりましたちょうど時に、あの、福岡から、玉田さんが参ってまいりました。先日の写真が出けてまいりまして、こう、改めてちょっとまたお礼に出らにゃおられんような思いが致しまして、年末のお礼も兼ねてからお礼に出てまいりましたというわけなんですね。これはあの、一緒に持ってあの私は、現場のこれを見たとたんにですね、もう、体がどんなる、こげなんば見よるならもう、気持ちが悪うなると言うてから、その場で、原版でも写真を焼いてしもうたそうです。それを、素早く、そげなこつ(?)と言うてから、これとも2枚だけ引き取ってからここへ持って来てるんですね。先日その友達5人でやまなみハイウェイに行ったんです。そしてあすこの壇匁で、(?)。そしてですね、これこればっかりの杉の木、一本で支えたら、下が段々、1メートル後ろでも前であっても、もう引っ掛かりも無かったっち言う。後からご覧下さいこれ、その写真を、そん時の写真を持って来てるわけ。思うたり聞いたりしただけでも、身の毛のよだつようなある、話の中に、えぇ、しかもこの自動車、まだこの自動車持って福岡に帰ったそうです。あのなんて言うか、機械で上げてもらってですね。随分大破したそうですけれども、まあそれで帰られたということです。「先生、この窓から5人の者が、もうそれこそ大変な思いで、その、這い出てきた」と言うてから昨日話しておりました。
昨日朝、麻生さんが参って来とりました。また夕べお礼に出てまいりましてから、「先生もう今日はもうちょいと広大なおかげを頂きました」と。こっから帰らして頂いてから、久留米の、あの、国道の、じゅぅ、十字路にまいりましたところが、いっぱい車がつかえて、あそこで、えぇ、止まっておりました。止まっておる間に気が付かせて頂きましたらですね、えこの、なんて言うんですかね、自動車で言うなら踏んだら効くという、あれはなんて言うですかね、ブレーキですか、ね、ブレーキのネジがですね、もうほんな落ちる寸前だったっち言う、これが落ちとったらもう絶対、言わば、その、エンジンが効かないわけなんです。「もう本当に先生身の毛のよだつ思いでございます」っち言う。これようもこれ止まらせて頂いた、止まってなら、ようもこれに気が付いたっち言うわけなんですね。それであた、お礼に出て来てるわけなんです。あたぁあれがスピード出して走っておる時ですね、(?)で来よるけ、その、(?)で止まらんなら(?)なるでしょう。「もう考えただけでも、御守護を受けておるおかげを受けておるということを感じます」と言うてから、お礼に出ております。
昨日はあの、杉山光男さんもお礼に出てまいりました。昨日一昨日お参りしてきてから、もうしきりにですね、その兄さんのこと、家が気になるっちいうわけですね。すぐ、近所で、有料、おぉ、停止、あのなんですか、車を、駐車場ですね。をなさっておられるわけなんです。ところがです昨日の朝はもう、「ちいったもう光男さんおかげ頂いた」ち言うてきたそうです。それがああた、そのコタツにスイッチ入れ、入れっぱなしだったそうですたい。それがあた布団が燃えてから、コタツの台が燃えよったっち。これであのその住まいとその、が一緒だそうですが、車がいっぱいその高級車ばかり、扱っておったっち、「もう本当に寸前でおかげを頂いた」とこう言うております。「前の日にどうしてあげん兄貴のところが気になるじゃろかと思うたら、こげな広大なおかげを頂かにゃならんもんですから先生、こんなことでした」と言うてから昨日はお礼に出てまいりました。
これも昨日でしたか、原さんのところの、こちらにお参りをさして頂いて帰ったら、もう千恵子さんがやかましゅう言うて怒られるって娘さんが。千恵子さんが帰って来たところが、っとこうコタツを開けた途端に燃え上がったっち、下にこう、あそこのはこう掘りごたつでしょ。ですから繰り替えってから、何か濡れたものを引っ掛けてあって忘れてあった。ね。開けた途端に燃え上がったって言うんですから。ね。本当に考えてみれば考えてみるほど、ね、信心しておれば目に見えるおかげより目に見えないおかげの方が多いっと仰る。
昨日も高芝さん出てみえてから、自動車に追突されておられます。ね。どの話を聞いてもこの話を聞いても、本当におかげを頂いておるな、おかげを受けなきゃでけんな、そういうことじゃない、平穏無事でおかげを頂いておるということ、目に見えるおかげより目に見ない中に、おかげを頂いておることを思うたら、なら鏡の二つ三つ、八枚割れに割れたところでです、神様は、分からんもんだからそういうことに祀り替えてあることをです、桜井先生の頂いておられるようにです、ね、〇〇金光大神のです、ね、お徳によって祀り替えたとこう仰る。ね。そういうようなおかげをお互いが頂いておるということですね。これ、今私が話した昨日一日だけでそうなんですから。
昨日堤清さんなんかもそう、これはお夢ですけれども、あぁ自動車と、たっ、あの、何か大きなトラックの、合間に自分の車が挟まったところのお知らせを頂いたち。ね。
印を見せんと、氏子がそれを本当の神様の働きと、分からんから、鏡の餅の中に、にも印を見せたと仰るような働きがです、椛目のお広前を中心として、お互いの上にそういう働きを頂いておるということ。ね。目に見えるおかげより、信心をしておれば目に見えるおかげよりも目に見えないおかげの方が多いというおかげに気付かしてもろうて、いよいよ残り少なくなった幾日間かをですたい、そういうお礼の日日、なるほど慌ただしいことでございましょうけれども、ね、慌ただしい中に、そういう御守護を受けておるのであるから、あの、慌ただって仕方がない、と言うてゆっくりせろというのじゃない、先日からの御理解のじゃないですけれども、ね、ちょうど碾き臼であの粉を引くように、「ゴロリゴロリ」と引くのじゃない、「ゴロリンゴロリン」と引かせて頂いて目の詰まった信心さしてもろうて、ね、まさかの時には、そうした大難が無難の中にお繰り合わせを頂き、少難でおかげを頂けれるようなです、目の詰まぁった信心を進めて行かなければならんかということが分かるでしょう。ね。おかげを頂かなきゃなりません。
どうぞこれ写真見てごらっ、(ちょいテープ切れ)